沼(田透)にハマって考えてみた

no Numa-chan, no Otaku-life

忘れ難き思い出

 沼田透は一見ちゃらんぽらんに見えるが、エリート集団の三葉銀行で広報部長にまで登り詰めただけあり、広い人脈を生かした情報収集力は他の追随を許さないが故に、情報戦には欠かせない人物として上層部に重宝されている。沼田の軽く感じられる言動が、実は相手の懐に斬り込む為の巧みな演出であるのを知る者は、だがごく少数だ。
 さて、サンデートイズの入札に敗れてから数日も開けないある日、沼田は飯島亮介専務に呼び出された。
「実は頼みがあるんや」
 と飯島は開口一番言い放った。
 ――うわあとうとう来たよ来ましたよ。
「何でしょうか?」
 内心の嘆息はおくびにも出さずに沼田は訊いた。少し間を置いた飯島は、銀座の老舗のおかきをポリポリ摘まみながら世間話をする様にブツブツ話し始める。
「沼田、ワシはな、何や納得いかんのや。あの入札、ウチは勝てると踏んで勝負に出ようとしとったし、実際勝ちも見えとったのにやな、あのタイミングで報道出るんはどう考えてもおかしいんや……」
 それは沼田も訝しんでいた点だった。
 ――まさか……。
「ディープスロート(内部告発者)がいるのでは、と?」
「そうや。それを調べて欲しいんや。アイアンオックスの日下部は外してもええが、他は全部疑って掛かれ」
 沼田の指先が不安に僅かに震えた。ポリポリ小さく聞こえる音に苛立ちが募る。
 ――あんた、この俺に友人を疑えって言うのか!?
「芝野も……ですか」
 ようやく飯島が沼田を振り返った。その眼光は鋭く、冷たかった。
「芝野だけはアホな事してへんてお前、信じとらへんのか? そういう情に厚い奴や思てこの件頼んどんやけどな?」
 沼田が本当はそれとは全く真逆な奴だと見抜いているのに、敢えて口にするのが飯島らしい。
 指先に残るおかきの粉を舐める飯島を見ながら、闇に飲み込まれていく自分に沼田は虚しさを感じていた。


 沼田は渋々探りを入れ始めたのだが、東洋テレビの関係者(それも末端のアルバイト)数名を当たっただけであっさりディープスロートの正体を暴いてしまったのだった。
 何かの間違いだろう、と裏取りしてもその名が浮かんで来るばかり。しかし沼田にとってそれはあまりにも重たい十字架だった。
 ディープスロートは他ならぬ友人の芝野健夫だったのだ。
「くそっ! 馬っ鹿野郎……っ!」
 沼田は机上を拳で殴り付けた。最早それが誰に対しての怒りかも分かり兼ねた。こんな酷な指令を出した飯島にか、バカな真似をした芝野にか、それとも二人の間で揺れる自分自身にか。
 退勤した沼田の足取りは重い。足を引き摺る様にして家とは真逆の方に向かった。


「いらっしゃいませ! あ、沼ちゃんお久し振りやねえ!」
 こぢんまりしたカウンター席しかない小料理屋の引き戸を開けた途端、女将が沼田に声を掛けてきた。
「今日は早いやん。銀行忙しないの?」
 後ろ手に引き戸を閉めた沼田は、眉を顰めて手をさっと眼前で払った。
「今日は銀行の事は言わないでくれる?」
「でもその顔、言いとうてしゃあないて顔やけど?」
 未だ誰もいないので一番入口から遠い席に腰を下ろした沼田に、女将はお冷やと突き出しを出した。
「胡麻やのうて松の実で汚した白和え。何か呑まはる?」
「呑む。とことん呑む。京ちゃん、俺今さ、呑まなきゃやってらんないんだよ」
 京ちゃんと呼ばれた女将は、取って置きの下り酒である櫻正宗を大振りの徳利に入れて沼田の前に置いた。
「大盤振る舞いやで? ええ酒は悪酔いせえへんからね」
「有り難う、有り難う……」
 沼田は白和えを摘まみながら、手酌で次々杯に注いでは空けていった。
「沼ちゃん、あんた泣いとうみたいや」
 女将の呟きを耳にして、沼田は杯を置いて俯いた。
「友人がバカやってウチに大損喰らわしちまってさ、俺がそれを上に報告しなきゃなんないんだよ」
「めっちゃええ人なんやね。沼ちゃんがそんなに辛なるんやから」
 一瞬女将を見上げた沼田は微苦笑した。今まで情報戦の末に破った相手を、躊躇わず叩き落としてきた沼田を知る女将の言葉に、今は縋りたかった。
「良い奴だよ。頭が良くて格好良くて……俺なんかにゃ過ぎた友人なんだ」
 まるで走馬灯の様に思い出が心に浮かんでは消えていく。最初は入行式で答辞を読んだエリートにくっ付いときゃあわよくば……という狡い考えで沼田は近付いた。だがそのエリート――芝野はエリートらしからぬとても気さくな良い奴だった。選抜メンバーとして海外留学し経営学修士まで修めたのにそれでも全く偉ぶる事もなく、それは今でも変わらない。
 自分にないものばかりを持つ、眩しい光の中を生きる芝野が心の支えだった。いつしか芝野の出世を見るのが夢になる位、沼田が〝戦友〟として惚れ込んだ男だったのに。
「あいつ、頭良過ぎて一回転半しちまったのかねえ……」
 歎息した沼田は再び杯を手にした。いつの間にか横に座っていた女将が徳利を傾けて酒を注ぐ。
 ――お前は友人だ。友人だからこそ、俺が引導渡してやるよ、芝野。
 その結果は分からない。馬鹿正直な芝野は辞表を用意するかも知れない。そして沼田は唯一無二の友人を失うのだ。
 沼田の頬に一筋だけ涙が流れた。


《終》